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ドイツ人も知らない小さな田舎ビーレフェルトに留学しているはなし。

国立大学でドイツ語を2年半勉強した後、ドイツのビーレフェルト大学へ2016年9月から留学しています。レベルはB2-C1程度(だと思います)。教育学をメインに勉強しています。私が留学準備をするときに「ビーレフェルト 留学」で検索をするも情報が少なく心もとなかったので、今後ビーレフェルトに来る日本人学生さんの助けになればと思って更新しています^^

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「学歴」はあるけど「学力」はない

 

 

 

 

突然ですが、

 

お前には学歴はあるが学力はない

 

と、面と向かって、目を見て、言われたことはありますか?

 

 

 

私は、あります。

 

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ちょうど今から1年前くらい前の話です。

バイトも始まって半年強経っていました。

 

そのバイト先である小さなハプニングが起こり、その場にいたのは私だけしかおらず、どう対処していいか分かりませんでした。

 

 

そして、近くにいた社長に

 

私「すみません。○○があったんですけど、どうすればいいですか?」

社長「××して。」

私「はい。ありがとうございます。」

 

 

 

社長「あのなあ」

 

 

「なんでお前は、○○があって私は△△したいんですけど、どう思いますか?っていう聞き方ができないんや?」

 

 

「お前には、学歴はあるけど学力はない。○○(世間的に3流と言われる大学に通っている同期の1人)のほうがよっぽどいいわ

 

 

 

そこで言われた、強烈な言葉。

 

 

 

 

そんなこと、言われたことがなく、しかも面と向かって直視して言われ、

 

「私のこと何も知らないくせに」「何だこの人」なんて全く思う暇なく

 

すっと私の中に入ってきました。

 

 

 

時々、ふと瞬間に思い出すことはあったのですが、

 

先日、この言葉・そして自分の人生を見つめ直させるある衝撃的な出来事がありました。

 

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前提として、ドイツの大学では「ディスカッション」が多いです。世界基準では分からないですが、少なくとも私の知っている日本よりは。圧倒的に。

 

先生が喋っている途中で、生徒がよく手を挙げ出します。

 

先生がその生徒を指名し、生徒が先生の言っていることに対して反論しだし、その反論に対する賛成・反対意見が他の生徒から飛び交う光景は本当によく目にします。

 

「これに対してどう思うか?」の問いに対して10人生徒がいたなら90%の確立で誰かひとりは1秒以内もしくはそれより前から手を挙げています。

 

私はドイツの高校に教育実習に4ヶ月行っていたのですが、その学校でもよく議論が行われていました。

 

 小学校も見学に行ったことがあったのですが、やはりそこでも、先生が話している途中に手を挙げて指名されるのを待ち、先生に対して発言する子どもたちがいました。(小学4年生)

 

 

 

大学ではその集大成と言わんばかりの話し合い様で、ついていけない私の恰好な言い訳は

 

ドイツ語だから無理なだけで、日本語だったらできる

 

でした。

 

実際に、日本では議論多めの授業や学生団体に積極的に参加していたので、その可能性は高いのですが。

 

しかし、そうやって言語の差・環境を言い訳にしている自分のことは本当に見るに耐えないほど嫌いだったのですが(なら変えろよと思うけど)(なかなか自分って、理由付けて甘えさせてしまうと変われないものです)。

 

 

 

 

しかしです。

 

今回、舞台は英語のゼミであり、生徒は4人、授業はディスカッション中心に進む。

 

私もその輪に入る絶好のチャンスでした。

 

なのに、

 

びっっっっくりするほど

 

イデアがない。

 

 

「どう思う?」に対する自分の意見がない。何をどう考えていいのか分からない。周りが言ってることは理解して、賛同もできる。ただ、「なぜ?」に答えることができない。

 

 

まさに、I have no idea

 

分からない。

 

 

例えるなら、人生で初めて料理を作る人に、周りが「とりあえず適当にやってみな」と材料もグラムも教えず作らせ、周りの思う「適当」が当本人にとってどれだけ難しいことなのか想像してみよという状況によく似ています。(分かりにくい)

 

 

周りが望んでいること・自分がしたいこと・自分の現状が全く噛み合ってない状況です。

 

 

こんな経験は初めてで、分からなさすぎて、そんな自分が信じられなさすぎて頭の中が真っ白になりました。 

 

 

 

 

 

あれ、私今までの長い学生生活何してたっけ・・・・・?

 

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回想シーンを終えて思ったこと。

 

 

 

あ、また、環境のせいにしようとしてる。

 

 

 

 

すごく自分にがっかりしたなあ。落胆という表現が正しいのかもしれない。

 

基本的に自分には自信があって、好きだし、それは変わらないけど、いくらそんな自分だったとしても嫌いなところがあって。

 

 

 

確かに、今まで受けてきた日本の教育のせいかもしれない。学校でも常に「先生の言うことに反論はせずテストでいい成績を取るいい子」だったのも問題なのかもしれない。

 

 

でも、全部過去で。 

 

 

過去と現在は繋がってるけど、過去は変えられない。

 

 

 

過去のことぐだぐだ考えて、、、、

 

私は悲劇のヒロインか。

 

 

 

なんて考え出すと自己嫌悪の負の連鎖が始まるわけで、そんな時・・・・・・

 

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自分で、日本教育のせいにしようとしてたくせに、

 

周りにそう言われると

 

イラッとする。「違う」と声を張って言いたくなる。

 

 

なんて、

 

なんて、

 

なんて面倒なやつなんだ・・・・・・

 

 

 

 

 

まあもうそれはともかく、

 

この1日の出来事で、私のこれまでの生き方を否定されたように感じたのは事実です。

 

 

 

だれも悪くない、私のせいでも、社長のせいでも、ゼミ同期のせいでもない。

 

この出来事があったからって、私が決断力に欠けてるとか、そういうことでもない。少なくとも、私は自分自身を、物事を考えられるし、決断もできる人だと評価できる。

 

このゼミの議論に参加できなくても、私にしかできないこと(日本のことについてプレゼンするとか)をしたら私がいる価値が生まれるのかもしれない。

 

そもそも日本とドイツは違うから、人も考え方も違って当然で、そこまで気に病む必要はないのかもしれない。

 

そもそも、「学力」という力は私の人生において必要なのか。その力がなくたって他の力を発揮していけばいいんじゃないか。

 

 

 

でも、でも、

 

そうじゃない。

 

 

 

 

 

私は、小さい頃から、「人より秀でてできるもの」がないのがずっとコンプレックスだった。小さい頃は自己肯定感がまるで無かった。

 

そんな私を今まで支え上げてくれたのは「学歴」で。

 

 

物心ついたときから、同じ時間で同じことを勉強したとしても私は常に人より理解できて、テストでも常にいい成績だった。

 

いい成績を取って常に学年トップにいると、親からも褒められて、友達からもすごいと言われ、悪い気はしなかった。

 

中学・高校という、自分のアイデンティティを形成する思春期の大半の時間を占めてきた環境下で何よりも大事だったのは、クラスでどれだけ発言をしているかよりも、テストでどれだけいい点を取れるか、だった。

 

 

地元でまあまあいいとされている高校に推薦入試で楽々合格し、全国的にいいとされている大学に私立は受験せず現役前期入試合格という形で合格できた。

 

 

 

そんな学歴社会・日本を否定する人も多いけれど、少なくとも私は、この学歴社会に支えられてきていて。

 

確かに、学歴だけで自分を評価されるのは大嫌いだったけど、でも、

 

 

「すごい」と言われるのが

自分そのものの自信に変わっていたのは皮肉ながら確かで。

 

 

 

その自信が土台にあって、今こうやってブログでビーレフェルトについて発信したり、自分の過去に触れられているのは確かなことで。

 

 

 

私の考えでは、「学力」は「学歴」に対して相反するものなのですが、 

※私の「学力」の定義は、「思考力。自分で物事を考える力」です。

 

 

だから、今まで私の土台となってきたものを、否定されたような、

 

 

「すごい」としか言われたことがなかったのに

 

 

学歴はしょせん学歴

 

そんなもの、何の役にも立たない

 

 

って言われているような(言われてません)

 

 

 

 

 

むなしいような、悔しいような、そんな気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、暗めの記事になっているのですが、当の本人は基本寝たらリセットされる人なので、そんなに気に病むこともなく、今こうして冷静に先日の自分の心境を振り返ることができています。ハッピー野郎でよかった。

 

 

1週間くらい考え続けるとなんでこんなに悔しいのか理由が分かって、理由が分かると結構すっきりするものです。

 

 

 

 

冷静になった今考えているのは、

 

 

日本教育って、大丈夫なの?

 

 

 

 

 

まだ、私の考えはまとまっていません。

  

 

 

 

 

私が教育学を学ぶ上で大切にしている言葉があります。

 

"Education is the most powerful weapon which you can use to change the world."

by Nelson Mandela

 

"教育とは、世界を変える最も強力な武器である。" ー ネルソン・マンデラ

 

 

 

 

私は、教育で世界を変えようなんて、そんな壮大なことは思っていませんが、教育(学校教育・家庭教育含み)は子どもから大人への過程における人格形成に最も大きな役割を持っていて、教育を変えるとその子たちが大人になったときの世界が変わるという考えには合意しています。

 

 

 

 

 

今の私は、何かを変えることができるんだろうか。

 

 

 

 

なんて、紅茶を飲みながら考えたりもしているものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉は、人によって解釈も違い、言葉遣いによってニュアンスも変わり、怖いです。結構びくびくしています。伝わっていることを祈って。

 

 

 

 

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